【群馬県安中市|新島襄旧宅ほか】安中観光記 ― 新島襄の面影を訪ねて





安中観光記 ― 新島襄の面影を訪ねて
令和8年3月14日(土)、群馬県の 安中市 を、11名のクローバー会員とともに訪れました。
安中駅に12時40分に到着し、16時までの約3時間余り、地元の観光案内の方お二人のご案内で、新島襄 ゆかりの地を巡る機会を得ました。
この日訪れた主な場所は、安中教会、旧安中藩郡奉行役宅・武家長屋、妙光院、有田屋・便覧舎址、龍昌寺、そして 新島襄旧宅 です。
いずれも、同志社大学 の創設者である新島襄の足跡を今に伝える場所であり、町のいたるところに彼の精神が息づいていることを実感いたしました。
群馬県安中市は人口6万人弱の小さな町です。
しかし、この町と新島襄の関係は極めて深いものがあります。
新島襄は江戸・神田にあった安中藩江戸上屋敷で生まれましたが、その家系は安中藩士であり、精神的な故郷はまさに安中でした。
彼の人格形成や教育思想の根底には、この地の風土と人々の気風が大きく影響していると言われています。
町を歩きますと、安中はまさに「新島襄の町」であることが分かります。
案内してくださった方々のお話の端々からも、地元の人々が彼を深く誇りに思っておられることが伝わってきました。
新島は青年期、藩の仕事のため江戸と安中を往復する生活を送っていました。
その往復の中で、封建制度の限界や日本社会の閉塞を肌で感じたとされています。この経験が、後のキリスト教への傾倒、さらには海外への密航という大胆な決断へとつながっていったと言われています。
1874年(明治7年)、約10年に及ぶアメリカ留学を終えて帰国した新島襄は、まず両親の待つ安中を訪れました。
そして家族や旧藩士たちにキリスト教の教えを説きました。これが大きな契機となり、1878年には安中教会が設立されることになります。
安中教会は、外国人宣教師の主導ではなく、日本人だけの手によって建てられた教会として、日本のキリスト教史においても特筆すべき存在です。
現在もその歴史を伝える建物が残っており、この町が新島襄の精神を大切に守り続けていることを静かに物語っています。
新島襄は、京都で同志社英学校(現在の同志社大学)を創設した人物として広く知られています。
しかし、その精神は京都だけにとどまりません。
戦後の1947年、安中の有志たちは彼の志を受け継ぎ、新島学園中学校・高等学校 を創設しました。
郷土の偉人の名を冠したこの学校の存在は、安中の人々が新島襄をいかに敬愛し、その理念を未来へと伝えようとしているかを示す象徴と言えるでしょう。
わずか数時間の滞在ではありましたが、町を歩きながら感じたのは、新島襄という人物が単なる歴史上の偉人ではなく、今なおこの町の精神的支柱として生き続けているということでした。
安中は静かな城下町です。
しかし、その静けさの奥には、日本の近代教育の礎を築いた一人の青年の志が、今も確かに息づいています。
皆様も機会がありましたら、ぜひ安中を訪れ、新島襄の息吹を肌で感じてみてはいかがでしょうか。
活動日:2026年3月14日
事務局 平野

